apapaの日記

apapa奮闘記

1/6

今日は2019年初めての礼拝であり、私がいける最後の礼拝だと思って朝から参加した。

お母様ははるかな上の基準を行かれていて、あまりにもかけ離れた自分だなと思ってみ言を聞いていたが、世界でおさめられている驚異的な勝利、実績。

希望だと思った。

 

帰ってきて、ご飯を食べて、しばらく2階にいたが、少し早めに下りてきたのが2時過ぎ。

義母は留守で、義父はなにか忙しそうに片づけていたので、ご飯は?と聞くと、パンでも食べるというので何もしなかった。

これはいつものことである。

出してあげても、ほとんど見ただけでパンを食べるのである。

 

アコーディオンカーテン越しに、義父母の会話が丸聞こえなので聞いていたら、義父に昼ご飯を食べたか聞いている。

食べていないようなので、餅を食べると言っているが、3個と言っているので、時間的に遅いので、2個にしておきなよと言ったが、聞こえていなかったらしい。

3個焼いて食べるという会話が聞こえてきた。

 

この祖父母の会話は、うざいこと極まりない。

うんざりだ。

 

病院へ行くと、リハビリに行くところだった。

リハ室について行き、足の感覚を見るため、床に置いた目盛りの書いた段ボールの上を移動させながら、目盛りの番号を当てるというリハビリ。

左足が自分が思ってるよりも開いている、ということが分かった。

そのあと、かかとに力が入りがちなので、つま先のほうに力を入れて立つようにゴムの器具を使って力を入れる練習。

 

それから台の上に寝て、もみほぐし。

そこから立つ練習。

 

そこでリハはおわり。

独鈷さんだったが、今日は移乗の練習はなし。

 

夫はずっと看護婦に不満をいだいていることを言っていた。

でも、塙さんが来てくれて、明るい声でベッドの上の姿勢をかえたりしてくれて、少し機嫌は良くなった。

 

私は、夫に義父のことをかなり悪く言ってしまった。

そのくらい不満を抱いていた。

 

今日は、礼拝にも行ったのに。

放蕩息子が帰ってきたとき、不満を抱いて父親に抗議した兄に向って父親が言った言葉、

お前はいつも私とともにいて、私のものはすでにお前のものだ。でも、離れていた息子が帰ってきたのだから、喜ばしいのは当たり前だ、と。

私は義父に向かってそんなふうにまだ思えない。

嫌いなのだ。

この人に、祝福なんかあげたくない。

 

ここから悔い改めていかなければならないだろう。

でも、それもしたくない私だ。