昨日、介護保険認定証が届いた。
要介護5である。
使い方はまだよくわからないけど、退院が近くなったら見せることがあるのだろう。
今日は、病院の窓口に持っていき、コピーを取られた。
夫は今日はリハビリは2回しかなかったようだ。
いつものように左手に少し熱があるのでタオルで冷やし、マッサージする。
少しずつむくみも取れてきたように思うが、気のせいか。
今日はマー君によく似た鶴竜のトレーナーの波田野先生という人と温先生だった。
食事はご飯を半分にしてもらったので、完食。
北海道の地震はすごかったが、友達の無事が確認できてよかった。
江別市にいる友達には連絡はできていない。
住所しか知らないからだ。
昨日は息子が義父母のことを毛嫌いしているのでとても弱った。
息子の言っていることはわからなくはない。
むしろ正しい。
でも、人間として、もっと許すということが必要なのではないか?
私も、そこをきちんと正してやれなかったのはいけなかった。
私が反省すべきなのかもしれない。
夫の母親方の祝福まではやれないと思っていたが、どうなんだろう。
義母は苦労人ではある。
親を小さいころになくし、お兄さんと協力して下の妹たちを育てたという。
しかし、だからこそ親の愛をあまり受けていない。
長女である分だけ、記憶は妹たちよりはあるだろうが…
時代が時代だったのだ。
義父も、母親を早くなくした。
私は違う家庭から来たから、欠けているものがよくわかる。
親がいないことはその子のせいではない。
でも、それならなぜ、親の愛し方を知らないと思いたくなるのか?
長生きしなくてもいいが、若くして死んでしまうこともよくない。
姉から電話が来た。
出張で東京にいるらしい。
土曜日に、はとこにあうとか。
40歳近くになって、今妊活中である。
神戸まで通ってるらしい。
子供が欲しいその気持ちは切実なようである。
でも、意外とあきらめた時に授かったりするものである。
私がそうだった。
子供は、いつの時代にも宝だ。
神様も、子供が欲しかったから人間を創造された。
子供を持たなければわからない世界は確かにある。
子供を持てた私は幸せだ。
でも、心配の種でもある。
昔、母が私を心配してくれた、その思い出を昨日息子に話した。
愛情深く、育ててくれた母に、感謝。
私は、忘れない。
親が犠牲になって子供を想ってくれた、その瞬間は、一生。