apapaの日記

apapa奮闘記

7/8

今日は朝から礼拝に行ったが、教会長が留守らしく、映画を見て終わった。

最後まで見れなかったが、エクソダスという、モーセの物語だった。

 

あれを見ると、聖書のモーセ出エジプト記のくだりを思い出すが、本当にこんな10災禍が起きたのか、と思うと信じられない思いである。

しかし、霊界からの報告から明らかにモーセはいるし、大洪水のノアもいるのである。

ノアの箱舟もアララテの山に残っている。

まるでおとぎ話のようにしか思えないが…

神様は実在するのである。

 

見てみたいのは、マナ。

天から降って、ヘブライの人々を養ったという、薄焼き菓子のようなもの。

食べると甘く、置いておくと次の日には臭くなり、割り当ての分量以上は降らなかったという。

紅海が二つに割れて、水の壁が立ち上がったこと。

火の柱、雲の柱。

 

行く途中、同じように脳卒中で夫が倒れた息子の同級生のお母さんに会った。

地域のつながりで、夫のことが耳に入っているようだ。

どうなのか、聞いてきたので少し立ち話をした。

その人も、寝たきりで、よくなっても自分で座れるというところくらいまでかもしれない、と言われたようだ。

でも、もう杖を突いて復帰している。

やはり左半身に影響が出て、一生懸命リハビリをしたようだ。

7か月たって、退院してきた。

 

左半身を一生懸命動かすようにしたら、痛がるんだけど、という話を聞いて、

うちもそうだ、なんで麻痺してるのに痛がるんだろう、と言うと、筋肉が固まってしまうからだと言っていた。

でも、そこまで悪くなったのに、今は復帰できてるんだから、希望だと思って、よかったと思った。

 

帰ってきて、息子と病院へ行った。

行ったとたん、また「おしりふいて」

見ると、すこしおむつが汚れていたので替えてもらった。

 

精神科の村上先生に、「持病のことで相談したいことがあったら聞くよ」と言われたということだが、そこからの話がとてもおかしな展開。

なぜか近所の人が昔から見てくれている精神科医になっていて、その人に相談してみるとか言い出した。

おまけに、朝から息子がトイレに連れて行ってくれなかったとか、

息子は今ここにいるけど、朝は家にいた、何言ってるの、と言ってもまったく自分が間違えていることに納得しない。

でも、しばらく話をして正していると、ようやくわかってきたようで、話がまともになってきた。

おそらく、飲んでいる向精神薬の影響があるだろうし、どうも人から相手にされないと、どんどんおかしくなるようだ。

あの、はっきりした物言いの看護婦さんの時はひどくなる気がする。

夫の場合は、たぶん、相性の悪い人の場合、ストレスで変な方向に物の考えをするようだ。

さらに、チックが激しいので、そのつらさも相まってるのだろう。

 

転院の許可が出ても19日まで待たなければならない。

一日も早く転院させたいが、病院の都合もあるので仕方がない。

行ったらできるだけ手足を動かしてあげよう。

 

義父は夜、ご飯の時に食卓に出たものすべてを甘いと文句を言い、口にしないので、息子が腹を立てていた。

私も同じようにその場面を見たので、「そんなこと言ってたら、食べるものなくなるよ、毎日せんべいだけ食べてる気なの?」とはっきり言ってやった。

義父は黙ったが、その時の様子を後で息子に話すと、

「黙った時が一番堪えてるから。それでいいんだよ。俺はずっとあの爺さんの会話を聞いてるからどんな風に答えたらどう思ってるのかわかるんだ」と言った。

 

私も義父のことはうんざりしているけど、まだ外に出たりする分、マシである。

義母は、24時間一緒にいるが、それでも鈍い。

今朝も、「だんだんおかしくなってきたね。まだその程度だけど」というので、

「それだけいけば相当なもんだよ」と言ってやった。

 

だから、デイサービス行かせなよって。

 

義母は「昔と全く性格が反対になっちゃった。年取ったらそうなるのかね」と言っていたが、私は口にこそ出さないが、「昔と何一つ変わっちゃいない。隠れていた根本が出てきただけだ」と思っている。

 

こう書いてくると、私はまだ昔の恨みを忘れずにいるということがわかる。

何よりも、私の信仰を迫害したこと。

忘れるのが大事なことだとわかっているが、傷つけられた心はそうそう忘れはしないというのが、この現実だ。

神様は、どれだけこんな人間を見てこられただろう。

私は、この義父に神様を伝えるなんてできないと思う。

救いの心情なんか持てない。

神様の思いは全く逆で、私は伝えなければならない使命があり、それがなされない限り、おそらくいつまでも地上に居座り続けるというのが想像できるのだが、

感情的にできないのだ。

 

神様はいない。

そう豪語する人間はたくさんいる。

しかし、そうではない。

いるものはいる。

 

そして、そう言いきる人ほど、かわいそうな感じがするのだ。

夫もよく言うが、夫に関しては、神様を恨みたくなる気持ちが理解できる時があるので、かわいそうに思うが、嫌悪感はない。

しかし、義父にはなぜ、嫌悪感がわくのだろう。

 

この嫌悪感は、昔からあるのだ。

だから、根底が出てきただけだ、と私は思うのかもしれない。

 

夫も、もし、この父親と母親のもとに生まれなければ、チックなんてつらい病気とは無縁だったはずだと思う。

私は、そんな夫をそばで見てきて、ずっと思ってきた。

 

私の恨みが消えない限り、神様は私にすべてを任せることはできないのだと思う。