apapaの日記

apapa奮闘記

6/10

今日は朝から涼しく、梅雨らしい天気だ。

息子が公務員試験のため、朝からRED-BULLのボトルとおにぎりを買いに行く。

最近、このボトルがなかなか売ってないらしいのだ。

でも、わりと簡単に見つかった。

 

早めに息子の朝のおにぎりを作って、トイレ掃除をし、2階に上がる。

今、配るチラシが切れているため、仕事に行かなくてもいい。

空いてる時間に少しでも整頓をやろうと思い、年賀はがきの古いのを選択して捨てた。

 

洗濯は義母がやるので、終わったころに降りて行って、洗濯物を干す。

9時半からスーパーが開くので、今日はオリーブ油とごま油が安かったので出かけた。

最近は買い物すら、義母が行くのが大変になってきている。

自転車に乗れないのだ。

お米だけは自分で行きたいようなので私は買わないが、ほかの重いものは自転車で買ってきてあげるようにしている。

 

買い物を済ませて、そのあと礼拝に出かけた。

今日の説教は、心情の復帰ということだった。

心情が復帰されなければ、本当の復帰ではない。

その心情の復帰のためには、堕落の逆をたどらなければならない。

エバの一番いけなかったことは、神様に相談しなかったことだった。

誘惑された時点で神様に相談していれば、ここまで深刻なことにならなかったという。

 

サタン世界は70年を超えられない、とお父様は以前語られた。

それは、ルーシェルが天使であり、天使は子女ではないので心情圏まで至らないからだと。

完成級までいかない。原理的なのである。

北朝鮮は建国してから今年が70年目。

体制は崩れるということだ。

 

終わったら12時半。

帰って、昼食を食べ、すぐにでかけた。

 

病院に行くと、今日は同じ病室だが前の場所から奥に移動していた。

病棟に入る許可を得た時に、電話。

茨城の叔母からだった。

今、これこれこういうことで電話できないから、かえって話しするね、と答えて切った。

電源切っとかないと。

 

昨日は同室は1人だったが、今日は2人。

カーテンが開いていて見えたおじさんたち2人とも、顔が土気色。

たぶん、内臓の病気だろう。

1人は面会者がいた。

 

今日は髪の毛を洗ってくれたらしい。

医師が傷口のふさがり具合を心配していたので、洗えるということは、すこしふさがったのか、と思う。

 

夫は起きていた。

私を見て「俺、だめだ」と言ったように思った。

口がうまくしゃべれない。

でも、酸素の管を抜いたので、少しは前よりは聞きやすくなったか。

唇があまり動かないらしい。

声は出しているのがわかるが、言葉として聞きづらい。

 

「死ぬとこだったんだよ。」

つい言ってしまった。

本人はつらいだろう。

薬の調整がやっとうまくいったって、すごく難しかったみたいだよ。

 

「まだテレビは見れないんだろうね」と言うと、「テレビは無理かもしれないな」とはっきり返事が返ってきた。

でも、それ以外の言葉は何を言ってるのかよくわからない。

 

でも、わりとは気が出てきた。

明日のCTで、何の処置もせず済んだらいいな。

 

帰りは雨が降っていた。

帰ってきて、義父母に報告。

頭を洗ってもらったようだ、というと、少し安心したようだった。

ほんの少しづつだが、回復していればよい。

 

さっきの茨城の叔母に電話する。

一人で施設に入っている。

聞くと、伯父も脳出血で、頭に穴をあけた、と言っていた。

それで、結構着替えとか大変だったらしいと。

多いんだなあと思う。

治ってる人も多いが、命とりになる場合もある。

 

夕食時、義父の昔話。

自分の母親が42歳で亡くなったが、その時の話だ。

父親が出かけていて、上野兄弟たちも出かけていて、一番上が義父だったらしいが、まだ10歳にもならなかった。

田舎なので、出張所に1か月に一回とか医師が来るのだが、ちょうどその来ているときだった。

でも、朝の10時くらいに倒れて、義父は何度もそこに呼びに行ったらしいが、忙しくて来れなかったらしい。

来たときは夕方4時くらいで、もう息を引き取った後だったと。

 

そんな時代だったんだ、と思う。

都会と田舎の違いは、病院の差だ、とよく思うが

今だったら救急車で行けば助かっていたかもしれない。

こんな話が出るなんて、霊界から訴えてるように感じて仕方がなかった。

 

息子が帰ってきたのは7時半だった。

試験は5時くらいまでだったろうから、ゼミの仲間と会って一緒に夕飯は食べたのだろう。

 

明日は医師からどんな電話がかかってくるか。

何の処置もせずに済んだらいいな。