apapaの日記

apapa奮闘記

5/29

いつも一か月に1度、仕事の集金をかねて午前中行っている教会。

以前は日曜礼拝には行っていたが、もう行かなくなって久しい。

家族の反対があって、自分もそれを押していくだけの信仰はもうあまりなかった。

ただ、1か月に1度だけは、月例献金だけをおさめにこっそり通っている。

以前乳がんになった時も、そこの人たちが一斉に祈ってくれて、とてもありがたく思ったことを忘れない。

今回も、夫のことを祈ってもらいたくて、また、自分に起こっているこの現実の意味を知り、どうむきあったらいいのかを教えてもらいたくて、婦人部長に報告した。

 

霊界に引っ張られず、まだ地上にいるということは、意味がある、ということは自分でも思っている。

ただ、こんな自分がなにができるのか、見当もつかず、また、こういう生活を送っていることに対しての戒めだと思いつつ、認めたくない気持ちが大きい。

教会に毎週通うことの負担や、様々なやりたくないことに向かわされるという強迫観念がどうしてもあって、正直、教会生活から逃げているのが今の自分の現状なのだ。

私の問題は、喜んで信仰生活に向かえないところにある。

 

でも、こういうことが現実に起こってしまうと、無関係には思えない。

報告はしたくないが、しなければならない、と頭の中で判断する。

 

悪いのは、自分なのだ。

そうわかっている。

でも、認めたくない。

 

 

行くと、教会長とお話しする時間が与えられた。

ただお祈りしてくれるのかと思っていたが、教会長が話をしたいようなので、時間的余裕はなかったが、椅子に座らされてしまった。

 

そこで、これからの大変な間、きっちりと感謝してやるべきことをやっていくことで、証になれば、と思います、というと、教会長の口から出たのは、私がおもってもいなかった言葉だった。

 

感謝というより、謙虚になることです、と。

 

謙虚…?

謙虚ではない、ということか。

私は…

 

 

なんだか、すごく思ってもみなかった言葉だったので、衝撃だった。

 

時間は30分オーバーしていて、どうしようと思いつつ、聞いていたが、そのうち「夫のところへ寄らせていただきました」と上司に報告するアイディアが浮かぶと、気にならなくなった。

 

祝福家庭は神様が責任を持つ。

祝福を受けて最後ではなく、祝福は始まり。

 

なによりも、条件なども無理せず、喜んでやることも大事だとおっしゃった。

 

大事なことだと思うので、忘れないように帰路に就く。

 

午後からは仕事だった。

5時までやって、そのあとまた広尾病院へ。

夫は起きていた。

熱が昨日は38度あったが、今は36・5度だという。

眉間にしわを寄せて、しきりに右足を動かし、左足のほうへもってきている。

右手にはミトン。

チック症があるため、なにかひっこぬいたりしないように、しておいてくれたほうがいい。

 

話しかけにはなにかしゃべって応じようとしているが、酸素マスクをつけているのと、口が乾いているせいか、聞き取れない。

どこか痛むのか、聞いたが、その時わずかにうなずいた。

目があまり開けられないようだ。

どこ痛い?

きいてみると答えるが、聞こえない。

どこが痛むのだろう?

 

歯ブラシに歯磨き粉をつけて、ピンクのビニールエプロンの看護婦が近づいてきて、「今お口の中をきれいにします」と言った。

エプロンは使い捨てのようだ。

 

寝てて、どうやるのだろうと思ってみてたら、歯医者で使うバキュームのようなものを口において、歯磨きしている。

壁際についているタンクに流れ込むようになっていた。

そのあと、鼻からチューブを入れて、栄養を入れます、と言った。

見れば、牛乳のような白い液体がつながっている。

 

私に看護婦の仕事は絶対できない、と思いつつ…

 

先生に一詳しく話を聞きたいと思い、看護婦に伝えた。

医師に伝えますと看護婦は言った。

浴衣のレンタルの手続きと、おむつを売店で買ってきてくださいと言われたので、買いに行って、渡して帰った。

その日はそれで終わりにして帰った。