5/27の朝のこと。
日曜日だった。
私は朝、チラシ配りのアルバイトをやっているので、5時半に出かけた。
帰ってきたのは7時5分前。
いったん2階へ上がって、荷物を置き、台所に降りようと思っていた。
上がってきて、ドアを開けたら、布団からはみ出して夫がもがいている。
私はちょっとため息をついて、「なんでこんなとこに寝てるの?」と言った。
夫は、トゥレット症候群という特殊な持病を持っており、仕事はそのせいでできなくなった。
本人はその病気のためにずっと苦しんでいた。
チック、と本人は言う。
この時も、「チックだ、ひどいんだ、こんなひどいチック、今までなかった」と暴れている。
はっきり言って、私にはよくわからない。
30年一緒にいても、この苦しみは理解できない。
わかることは、とにかく、本人にとっては苦しいものだということだけだ。
本人はその時、「おしっこ行きたい。行きたいけど、起きれない。起こして」と言った。
夫は95キロある。
とにかく、右手をつかんで引っ張って起こしてみたが、重くて、起こせない。
「精神安定剤飲む、そこにある薬をとって」というが、言ってるところに薬がなく、よくわからない。
「自分がやる」というが、できない。
なんとか、見つけ出してこれでいいの、と聞いてお茶で一口飲ませた。
でも、起きられない。
引っ張って上体を起こしてもすぐくずおれてしまう。
どうも、左手に力が入っていない。
まるで、ぬいぐるみの手足のようだった。
脱臼かと思って聞いてみたが、どうも違うようだ。
よく見ると、左足も完全に力が入っていないことに気が付いた。
左半身?
まさか?
そう思って、左手と左足に触れ、触られていることはわかるか、と聞くとわかる、という。
これは、チックなんかじゃない、
本当にやばい!
そう思って、「だめだ、これは救急車だ!」と一声発し、携帯で119に電話した。
すぐに出た。
「左半身が動きません」
「わかりました、すぐに向かいます」
緊急を要すると向こうが判断したことが分かった。
あわてて隣の部屋の義父母に声をかける。
「左半身が動かないんだ。救急車呼んだから!」
義母が起きてきてまず言った。
「サイレンは鳴らさないで来るんでしょ?」
この緊急事態に何を言っている!?
部屋に戻ると、携帯に着信があった。
すでに1件着信していたが、義父母を起こしに行っている間に鳴ったらしい。
出ると、「今向かってますから」と救急隊の声。
伝えなければと思って言った。
「2階にいるんですが、下せないんです。95キロくらいあります。」
「わかりました。消防隊も一緒に行きますから。」
1階に寝ている息子の部屋に行き、「お父さん、左半身が動かないから、救急車呼んだから。お前も起きて」と起こすと、「マジ?」
どいつもこいつも、緊急性がわからない!
救急車が着いた。
家が入り組んでるので、迎えに駆け出す。
案内して戻ると、階段を見て、「ここ、通るかな?」と救急隊員が言った。
たんかのことを考えたらしい。
6人、男の人が来た。
もう、お願いします、と祈るばかり。
どやどやと入ってきて、たんかを用意する。
夫はしきりに「おしっこ行きたい」と言っているが、「今いけない」というしかない。
「おむつは?」と聞かれたが、そんなのない。
仕方ないので、バスタオル用意してください、と言われてバスタオルを持ってきた。
階段においてあった洗剤やら、いろいろなものをどけてください、と言われたので慌ててどけに行く。
なんとか、あの巨体を階下まで持ってくることができた。
たんかは布製で、ベルトで固定し、ハンモックのように形が変わるので、なんとかなった。
救急車に乗り込む。
「ご主人が普段飲んでいる薬をお持ちください」と言われ、よくわからないままいつも仕訳けてある一箱を持ってそのまま救急車に乗り込んだ。
「広尾病院に行きます」
広尾病院はこの辺では脳外科でよく救急で運び込まれる。
「10分で行きます」
救急隊員はそう言った。
何回も夫に呼び掛けている。
夫は最初のうちは答えていたが、だんだん返事がなくなってきて、何も言わなくなった。
言えなくなったのだと、思って怖かった。
右手は何か動かしていたので、「右手が動いてます」と言うと、
救急隊員はその手を持ち、「聞こえますか?聞こえたら握り返してください」と言った。
すると、握り返した。
「ああ、よかった」そのおじさんの一言が、救いだった。
「最後に正常な姿を見たのはいつですか?」と聞かれ、
その日の前の日は12時まで息子と話をしていて、そのあと息子が風呂に入り、その次に夫が風呂に入った。
夫が風呂から上がって入ってきたときには私はもう夢の中だった。
そういうと、救急隊の人は困惑した顔で、「いつ最後に元気な姿を見たか、によってできない治療があるんです」と言った。
そしたら、急に記憶がよみがえった。
朝、目が覚めて時計を見たのは4時40分くらいだった。
まだチラシ配りには早い、そう思ってまだ寝ようと思い、ごろごろしていたら、夫がトイレに起きた。
そして、「昨日お風呂入ったんだっけ?」と私が聞いて、
「あいつが下りて行ったの、12時だぜ、それからあいつが入って、そのあとだよ。
入ったよ」という会話をした。
そして、うとうとし、5時45分くらいに私は起きて、出かけた。
だから、たぶん、5時くらいには正常だった!
そのことを伝えると、救急隊員は、「じゃあ、5時までは大丈夫だったんですね?
奥さん、それはとても大切な情報です。」と希望的な顔で言ってくれた。
広尾病院の救急センターについた。
まず、家に電話する。
「広尾病院に来たから」
すぐに息子にも電話し、とにかく今すぐ病院に来て、と言った。
どうやって行くの?と聞くのでバイクが一番早い、と答えた。
夫はすぐに診察室へ運ばれ、CTを撮った。
いろいろと手続きをし、同意書などを書かされ、担当医に呼ばれ、説明を受けた。
若い女性医師で、色黒できれいな眉をしている。
今手術して脳圧を下げないと、致命的だといわれた。
ドレナージ手術と言って、出血個所に管を通し、脳圧を下げる。
9時には手術室にと目標をおいて準備してます、と。
まず、手術室のある3階に呼ばれ、手術患者の家族の控室に通された。
息子が来ない。
初めてのところで迷ってるのか?
手術室に入ったのは9時20分だった。
しばらくして息子が来た。
やっぱり迷ったらしい。
でも、一人でいるよりは心強かった。
手術はそれほど時間はかからなかった。
1階に降りて、担当医の説明を待つ。
もうお昼になっていて、おなかがすいたと息子が言うので、息子が売店におにぎりを買いに行ったが、その時に呼ばれた。
息子を待って、説明を受けた。
あくまでも救命措置ということで、それで治るというものではなかったが、そこに薬を入れて脳内を洗っていく治療法らしい。
半身不随はまず確実、先生はお茶を濁したが心配なのは意識障害が残らないかだった。
深刻そうな顔をしていたので、状態は良くないと思った。
家に電話をして、手術が終わったことを伝えると「ああよかった」という義母に、「状態は良くないからね!」と言った。
運ばれた救命センターの中は、ほとんど看護婦さんがつきっきりの状態。
そういう意味では、少し安心できた。