apapaの日記

apapa奮闘記

昨日は最低だった

いつもそれほどくさることもない私だが、昨日はくさった。

 

最近雨続きだ。

昨日も帰りの時間帯に雨が予報されていた。

どうせばあさんは今日もなんだかんだと理由をつけて買い物には行かないだろう。

冷蔵庫の中身は…

そう考えて、朝も開いてるスーパーに寄った。

 

できるだけ迅速に買うものをチョイスし、レジに行くのだが、コロナの影響でレジもトレーにお金を受け渡し。

そこでポイントカードが見当たらなかった。

仕方なく、なしで会計。

 

そんなことをしているうちに、少し遅くなった。

時間を見ながら、やばいと思いつつ、急いでいく。

到着前に9時になってしまった。

急いで荷物を抱えて入ったが、上司がすでに来ていて、「ちょっと遅いですよ!」と言った。

それほど何か言う人ではない。

でも、この時遅くなったと言っても、1,2分のオーバーだった。

 

むっと来た、

すみませんとは言ったが、私は家の買い物をしていたのだ、自分の買い物ではない。

いつもどっさり荷物を持ち込んで、たまに冷蔵庫の中に入れているのを見ないわけではないだろ!

買い物行ってる暇がないから朝してるんだよ!

 

私の事情なんか関係ないのはわかっている。

私も違っているというのはわかっている。

それでも私の頭の中に最初に出てきた言葉は、「1分や2分遅れただけでみみっちいこと言うんじゃねえ!」という言葉だった。

 

こういう時、自己牧会をしなければいけないのだろうが、したくなかった。

そしたら、ずっと1日残ってしまった。

 

帰り、信号がすぐに変わるので一気に渡らなければならない交差点で、自転車で渡ってる時、お巡りさんが私の方を見て何か言った。

うるせえよ!いつも言わないくせに、なんで今日言うんだよ!

そう思った。

いつも、こっちを見ていないのだが、たまたまこっちを見ていた。

かといって、それほど危険な渡り方をしたわけではない。

みんなしていることだし、逆に歩道に入ったら人でぶつかり危ないから渡れなくなるのだ。

だから、言われたことはないが、たまたま昨日は私に向かってなにか言ったのだ。

後ろからも同じようにわたってる人がいたので、その人かもしれなかったが

 

とにかく、くそ面白くない日だった。

帰ってくれば夫の文句とじいさんのボケとばあさんのしなくてもいい心配とじいさんを責める言葉だ。

思わず、夫に寝る前にぶちまけた。

 

まあ、たまにはいいかもしれない。

夫はそれまでいろいろ自分がどれだけつまらないかを繰り返し文句を言っていたが、さすがに黙った。

そして、私が頑張っていることを知っている、と言った。

 

ふん、たまにはそのくらい言ってもいいかと思った。

 

神様は心の中にいる。

しかし、どうにもおさまらなくて神様に文句を言いたいこともある。

 

そうだ、以前お祈りした時にお母様が私の心にかたりかけてくださった。

「なんでも言ってくれていいのよ」

 

お母様、ごめんなさい。

夫に文句を言う前に、あなたに愚痴ってもよかったのに。

ありがとうございます。

 

お母様。

あなたは私の母です。

 

 

 

 

じいさんのおかしな生活

このところじいさんがおかしい。

あまりにもおかしいので、ここに書いてあることが信じられるかどうか?

 

まず、ひどいときはトイレ通いが2分もたない。

要するに、下痢をしている人がトイレの前から離れられない状態になるけど、あの状態。

おなかが痛いわけでもない。

なのに、出たり入ったりするのだ。

立て続けに10回くらい入ってすぐにまた入って…という感じ

思わず出る言葉は「何なの?」

 

次に、雨の日に多いが、夜9時くらい、外に出ていく。

「眠れない」とか。

まだ眠る時間ではないが、それなら2階でテレビでも見てればいい。

しかも、それも繰り返し行く。

昨日は着替えるのが面倒になったのか、パジャマのまま出て行った。

出ていって10分くらいで帰ってくるが、おかしい行動だ。

 

トイレに入ったら必ず痰をかーーーっと出す音が聞こえる。

そして、最後に便器に向かってプっとそれを吐く音がもろに聞こえる。

それが繰り返されるので、動けない夫はストレスがたまりまくる。

私がたまにトイレに入ると、赤黒い感じのシミが便座についている。

気持ち悪いので毎回拭かないと座れない。

 

さらに味覚異常。

この前冷やし中華をつくった。

その時、目の前で見たじいさんの行動。

 

まず、一口食べた。

やにわに立ち上がり、しょうゆを持ってくる。

そこで目の前の冷やし中華に醤油を3回まわしかけ。

それだけでも(うわーーーー)と思ってみてるのに、一口食べ、回しかけ、を三回繰り返した。

そして、挙句の果てに「もういらない」

食べられないだろ、当然、そんなもん!

 

この調子で何にでも醤油をかけ、おいしそうに食べればまだいいが、結果的に「もういらない」

これでは、作る気もなくなる。

文句も必ず言う。

そんな調子なのに、醤油がかかっていない料理には「しょっぱくて食べられない。塩食べてるみたいだ」「甘くて食べられない」

これではこっちも一緒に食べることだけでもげんなりする。

 

ばあさん!

デイサービス行かせろ!

 

 

 

 

今日のセッション

今日は越前教会の実践報告だった。

 

自己牧会プログラムを通して、反対していた夫のお母さんがとてもかわいく慕わしく最近は思える、夫が慕わしくなった、という証が、うらやましいと思った。

 

いつも一生懸命やっている食口でも、ずっとやり続けなければ変われないということ。

 

また、神様の声を聴いたという話。

良心革命とは、良心に私を迎えること、私と一喜一憂することだと。

 

神様は生きている。私の心の中に。

今朝、胸の中から聞こえてきた、温かい声。

いつも、共にいるよ。愛してるよ。

 

天のお父様。

慕わしいです。

自己牧会プログラム2

今日から、自己牧会プログラムのセッションを見た感想を書くことにしたい。

あまりにいい内容なので、かみしめておきたいからだ。

 

昨日のセッションは、2世の女の子が「思い通りにならなくても大丈夫」というワークで自分が変わった、という内容で、何よりも生き生きと楽しそうに、この内容を皆に伝えたい、という気持ちが伝わってきて、その姿に感銘を受けた。

 

自分が「こうであるべきだ、なぜこうできないのか」と人に対して知らず知らず思ってしまうこと、自分が正しいと思うことが囚われで、それに気づくことにより、人に変わってもらいたいという動機から、自分を変えるためのワークになったという。

 

本当に、嬉しそうだった。

その嬉しそうな姿を見ていると、私もそうなりたいと思った。

 

だから、そうなのだ。

自分もそうなりたいと思わせること。

それが、伝道なのだなと。

 

朝、祈っていて、どうしたら今の私が変われるのかと思っていたら、声が胸から聞こえてきた。

温かい声だった。

 

私はいつもおまえとともにいるよ、と。

 

お父様。

そうですね。

私は愛されている。

 

だから、思った。

人を変えようと思うのではなく、愛されていることを信じて与え続けよう、と。

思い通りにならなくてもいいから、与え続けようと。

 

なんと力の出ることか。

神様。

私はあなたに愛されている。

 

頑張ります。

じいさんの嫌なところ2

じいさんの嫌なところ。

つぎは、自分のことしか考えていないことである。

要するに、KY。

 

あくまでも自分の主観が大切で、人がそのことでどんなにうざく思っているか、考えもしない。

自分のせいで迷惑をかけているということに、思考回路自体がない。

 

トイレ通いの激しいことは以前も書いたと思うが、とにかく迷惑なのは、回数の多さだけでなく時間が長いことである。

とにかく、5分は絶対出てこない。

以前、夜中に急におなかが痛くなってきて、トイレに行こうとしたら、入っていた。

1回はなんとか我慢しようと思った。

でも、どうにも我慢できなくなってきて、たまらず、「出て。おなか痛い」とドアをノックして、出てもらった。

 

そしたら、次の日ばあさんが言っていた。

あの後、2階へ上って行ったじいさんはばあさんに言ったらしい。

「我慢できないのか」と。

 

ばっかやろーって思った。

どれだけみんなに迷惑かけてんだよ!

自分のほうが、どれだけ家族にそんな思いをさせてきたんだよ!って。

 

息子も腹に据えかねて出ていき、顔も見に来ない。

夫の顔だって、見に来ない。

あいつもそうとう冷たいと思うけど、じいさんばあさんがいないなら、きっとくるだろう。

 

でも、お母様は「空にしなさい」とおっしゃった。

今こそ、すべてを捨てて、空になる時だ。

 

どんなことがあっても、お母様が正しい。

私は、そのみ言に従わなければならない。

自己牧会プログラム

自己牧会プログラムの朝のセッションを毎日楽しみに見ている。

自分の良心の中にいる神様に出会い、実践するワークである。

これが簡単なようでいて、なかなかできない。

 

昨日も夫が要求する頓服薬の回数に頭にきて怒ってしまい、2階に行って寝てしまった。

夫はすぐに薬に頼ろうとする。

そんなことを全部聞いていたら、とんでもないのだ。

 

でも、ワークの証は、みんな同じである。

嫌な思いがわいた時、そこに従うのではなく、自覚を取り戻し、相手を理解するように自分を持っていく。

そうすれば、神様の思いで相手を見れるということだ。

要するに、許せるということだ。

 

今日、朝私が祈ったことは、ただ「許してください」という言葉だった。

自分を責める思いがわいてきて仕方なかった。

何度、その言葉が出たかわからない。

 

結局、囚われることによって、誰よりも自分を責めているのである。

 

お母様は今、ただ「許して、愛して、忍耐しなさい」とおっしゃっている。

それだけの言葉なのに、実に難しい。

許す、ということにたどり着くのが難しい。

気づくことすら難しいのだから。

 

でも、少しずつでも行くしかない。

お母様はすべてご自分が歩んで見本を見せてくださっている。

お母様ほど忍耐した方がどこにいるだろう。

もう、登場されただけで空気が変わって、浄化されてしまう感じがするのは、ひとえにお母様のそんな歩みを、霊的に感じ取れてしまうからなのだと思う。

「母」としての「愛」、忍耐

 

ああ、もう頑張らなくちゃ。

サタンのいやらしい狡猾なやり方など、相手にしていてはいけない。

 

しっかりしよう。

じいさんの嫌なところ1

じいさんを愛せない私は、今日、婦人部長から、毎日嫌なところを書き出してみればいいと言われたので、書いてみようと思った。

 

まず、

一番いやなところ。

 

無知なこと。

主観的なこと。

テレビを見ていても、いろんな意見を述べるが、一度としてそれに同意できたことがない。

考え方が違う。

それを当然のように、自分の意見がすべての人の意見と同じだと思ってる節が一番嫌い。

 

なぜ嫌いか?

なぜだろう?

 

私はそう思わないと言えない。

その意見が無知から来ていることが多いから。

あなたが言ってることは全く違うよ、と思ってる。

 

知らないことを知らないと自覚していないことが嫌なのかな?

無知だから、それを指摘するといけないなと思うのかな?

 

なんでも、よく知らないということは、なんとつまらないことだろう。

でも、知らないというのはその人のせいではない。