apapaの日記

apapa奮闘記

1月13日

今日は病院へ行って、夫のAPS治療をする日だったので、朝から出かける準備をし、介護タクシーで病院へ行った。

今日は右肩に注射をする日である。

呼ばれて診察室へ入り、同意書を書いた。

その時、右ひざは33万だったが、方の靭帯損傷の場合は半分の注射で効果的なものがあり、それだと16万5千円だと言われた。

わざわざメーカーに医師が問い合わせてくれたらしい。

これは、医療天使を送ってくれたおかげだと私は思った。

なんと感謝なことか。

 

介護タクシー券はもうなくなったので、行くたびに1万円くらいお金がかかるが、そのことを思うとあと2回行ったとしてもありがたい。

 

帰ってきてから免許の更新に行き、帰りに教会へ行って先祖解怨のお金を置いてきた。

その時に、じいさんとばあさんの祝福に向けて、具体的にどう取り組むかを話した。

そして、金曜日に婦人部長が家にものを届けてくれる口実で、ばあさんに近づくきっかけを作ってくれるというので、天聖経を購入しようと思っていたので、それを届けてもらう口実を作り、来てもらうことになった。

 

み言を読めば読むほど、祝福の大事さは身に染みてくる。

今はまだみんなわからなくても、きっといつかわかる日が来る。

そう思って、楽しくいかなければと思う。

 

ばあさんも今は不満の連続で生きるのが苦しいだろう。

私はばあさんを許せるように祈らなければならない。

自己伝道

人を伝道する前には、自分を変えなければならない。

お父様の自叙伝を読んでいて、毎日悟りを開くために1日で日記が1冊書いてしまったことがあったと書いてあった。

そうか、悟りを得るために、お父様は毎日の出来事を細かく意味を考えてたんだなと思うと、私もそういう努力が必要だと思った。

毎日起こる細かな出来事一つ一つに意味がある。

神様が私に与えてくださった環境によって、私は育っていくのだ。

ならば、それを事細かに記憶し、そこから何を神様が私に教えたいのか、それを考え、学ばなければならない。

 

例えば、朝起きてまず何をしたか。

配信された今日のみ言を読んだ。

何が書いてあったか?

生活にご父母様から根差す生活をしなければならないと思った。

そのあと、お祈りをした。

何を祈ったか?

天寶家庭を目指すことをちゃんと考えなければと思った。

それから何をしたか?

毎週配信されてる漫画を読んだ。

子供の友情が描かれてあった。

それから、チラシ配りに行った。

寒かったけど、手持ちのチラシを全部配って、明日は天気が悪いようだから、よかったと思った。

帰ってきて、7時過ぎだったので、洗濯をし、夫が起きたのでいつものようにバイタルチェックして、早速朝からばあさんに対する夫の愚痴を聞く。

そのあと、自分が食事をしようとしたら、パンがなかった。

ばあさんがあると思い込んで、昨日買い物に行っても買ってこなかったのだ。

そこで、ひそかにチッ

でも、シリアルがあったのでそれを食す。

朝から、何か人のためになることをしたか?したなら食べなさい、というお父様のみ言を思い出す。

家事はした。

それから買い物に出た。

買い物では、花と、夜鏡開きなので夫が食べるお汁粉を作るのに、砂糖があまりないように、赤飯のもとを買った。

 

 

 

 

 

昨日は最低だった

いつもそれほどくさることもない私だが、昨日はくさった。

 

最近雨続きだ。

昨日も帰りの時間帯に雨が予報されていた。

どうせばあさんは今日もなんだかんだと理由をつけて買い物には行かないだろう。

冷蔵庫の中身は…

そう考えて、朝も開いてるスーパーに寄った。

 

できるだけ迅速に買うものをチョイスし、レジに行くのだが、コロナの影響でレジもトレーにお金を受け渡し。

そこでポイントカードが見当たらなかった。

仕方なく、なしで会計。

 

そんなことをしているうちに、少し遅くなった。

時間を見ながら、やばいと思いつつ、急いでいく。

到着前に9時になってしまった。

急いで荷物を抱えて入ったが、上司がすでに来ていて、「ちょっと遅いですよ!」と言った。

それほど何か言う人ではない。

でも、この時遅くなったと言っても、1,2分のオーバーだった。

 

むっと来た、

すみませんとは言ったが、私は家の買い物をしていたのだ、自分の買い物ではない。

いつもどっさり荷物を持ち込んで、たまに冷蔵庫の中に入れているのを見ないわけではないだろ!

買い物行ってる暇がないから朝してるんだよ!

 

私の事情なんか関係ないのはわかっている。

私も違っているというのはわかっている。

それでも私の頭の中に最初に出てきた言葉は、「1分や2分遅れただけでみみっちいこと言うんじゃねえ!」という言葉だった。

 

こういう時、自己牧会をしなければいけないのだろうが、したくなかった。

そしたら、ずっと1日残ってしまった。

 

帰り、信号がすぐに変わるので一気に渡らなければならない交差点で、自転車で渡ってる時、お巡りさんが私の方を見て何か言った。

うるせえよ!いつも言わないくせに、なんで今日言うんだよ!

そう思った。

いつも、こっちを見ていないのだが、たまたまこっちを見ていた。

かといって、それほど危険な渡り方をしたわけではない。

みんなしていることだし、逆に歩道に入ったら人でぶつかり危ないから渡れなくなるのだ。

だから、言われたことはないが、たまたま昨日は私に向かってなにか言ったのだ。

後ろからも同じようにわたってる人がいたので、その人かもしれなかったが

 

とにかく、くそ面白くない日だった。

帰ってくれば夫の文句とじいさんのボケとばあさんのしなくてもいい心配とじいさんを責める言葉だ。

思わず、夫に寝る前にぶちまけた。

 

まあ、たまにはいいかもしれない。

夫はそれまでいろいろ自分がどれだけつまらないかを繰り返し文句を言っていたが、さすがに黙った。

そして、私が頑張っていることを知っている、と言った。

 

ふん、たまにはそのくらい言ってもいいかと思った。

 

神様は心の中にいる。

しかし、どうにもおさまらなくて神様に文句を言いたいこともある。

 

そうだ、以前お祈りした時にお母様が私の心にかたりかけてくださった。

「なんでも言ってくれていいのよ」

 

お母様、ごめんなさい。

夫に文句を言う前に、あなたに愚痴ってもよかったのに。

ありがとうございます。

 

お母様。

あなたは私の母です。

 

 

 

 

じいさんのおかしな生活

このところじいさんがおかしい。

あまりにもおかしいので、ここに書いてあることが信じられるかどうか?

 

まず、ひどいときはトイレ通いが2分もたない。

要するに、下痢をしている人がトイレの前から離れられない状態になるけど、あの状態。

おなかが痛いわけでもない。

なのに、出たり入ったりするのだ。

立て続けに10回くらい入ってすぐにまた入って…という感じ

思わず出る言葉は「何なの?」

 

次に、雨の日に多いが、夜9時くらい、外に出ていく。

「眠れない」とか。

まだ眠る時間ではないが、それなら2階でテレビでも見てればいい。

しかも、それも繰り返し行く。

昨日は着替えるのが面倒になったのか、パジャマのまま出て行った。

出ていって10分くらいで帰ってくるが、おかしい行動だ。

 

トイレに入ったら必ず痰をかーーーっと出す音が聞こえる。

そして、最後に便器に向かってプっとそれを吐く音がもろに聞こえる。

それが繰り返されるので、動けない夫はストレスがたまりまくる。

私がたまにトイレに入ると、赤黒い感じのシミが便座についている。

気持ち悪いので毎回拭かないと座れない。

 

さらに味覚異常。

この前冷やし中華をつくった。

その時、目の前で見たじいさんの行動。

 

まず、一口食べた。

やにわに立ち上がり、しょうゆを持ってくる。

そこで目の前の冷やし中華に醤油を3回まわしかけ。

それだけでも(うわーーーー)と思ってみてるのに、一口食べ、回しかけ、を三回繰り返した。

そして、挙句の果てに「もういらない」

食べられないだろ、当然、そんなもん!

 

この調子で何にでも醤油をかけ、おいしそうに食べればまだいいが、結果的に「もういらない」

これでは、作る気もなくなる。

文句も必ず言う。

そんな調子なのに、醤油がかかっていない料理には「しょっぱくて食べられない。塩食べてるみたいだ」「甘くて食べられない」

これではこっちも一緒に食べることだけでもげんなりする。

 

ばあさん!

デイサービス行かせろ!

 

 

 

 

今日のセッション

今日は越前教会の実践報告だった。

 

自己牧会プログラムを通して、反対していた夫のお母さんがとてもかわいく慕わしく最近は思える、夫が慕わしくなった、という証が、うらやましいと思った。

 

いつも一生懸命やっている食口でも、ずっとやり続けなければ変われないということ。

 

また、神様の声を聴いたという話。

良心革命とは、良心に私を迎えること、私と一喜一憂することだと。

 

神様は生きている。私の心の中に。

今朝、胸の中から聞こえてきた、温かい声。

いつも、共にいるよ。愛してるよ。

 

天のお父様。

慕わしいです。

自己牧会プログラム2

今日から、自己牧会プログラムのセッションを見た感想を書くことにしたい。

あまりにいい内容なので、かみしめておきたいからだ。

 

昨日のセッションは、2世の女の子が「思い通りにならなくても大丈夫」というワークで自分が変わった、という内容で、何よりも生き生きと楽しそうに、この内容を皆に伝えたい、という気持ちが伝わってきて、その姿に感銘を受けた。

 

自分が「こうであるべきだ、なぜこうできないのか」と人に対して知らず知らず思ってしまうこと、自分が正しいと思うことが囚われで、それに気づくことにより、人に変わってもらいたいという動機から、自分を変えるためのワークになったという。

 

本当に、嬉しそうだった。

その嬉しそうな姿を見ていると、私もそうなりたいと思った。

 

だから、そうなのだ。

自分もそうなりたいと思わせること。

それが、伝道なのだなと。

 

朝、祈っていて、どうしたら今の私が変われるのかと思っていたら、声が胸から聞こえてきた。

温かい声だった。

 

私はいつもおまえとともにいるよ、と。

 

お父様。

そうですね。

私は愛されている。

 

だから、思った。

人を変えようと思うのではなく、愛されていることを信じて与え続けよう、と。

思い通りにならなくてもいいから、与え続けようと。

 

なんと力の出ることか。

神様。

私はあなたに愛されている。

 

頑張ります。

じいさんの嫌なところ2

じいさんの嫌なところ。

つぎは、自分のことしか考えていないことである。

要するに、KY。

 

あくまでも自分の主観が大切で、人がそのことでどんなにうざく思っているか、考えもしない。

自分のせいで迷惑をかけているということに、思考回路自体がない。

 

トイレ通いの激しいことは以前も書いたと思うが、とにかく迷惑なのは、回数の多さだけでなく時間が長いことである。

とにかく、5分は絶対出てこない。

以前、夜中に急におなかが痛くなってきて、トイレに行こうとしたら、入っていた。

1回はなんとか我慢しようと思った。

でも、どうにも我慢できなくなってきて、たまらず、「出て。おなか痛い」とドアをノックして、出てもらった。

 

そしたら、次の日ばあさんが言っていた。

あの後、2階へ上って行ったじいさんはばあさんに言ったらしい。

「我慢できないのか」と。

 

ばっかやろーって思った。

どれだけみんなに迷惑かけてんだよ!

自分のほうが、どれだけ家族にそんな思いをさせてきたんだよ!って。

 

息子も腹に据えかねて出ていき、顔も見に来ない。

夫の顔だって、見に来ない。

あいつもそうとう冷たいと思うけど、じいさんばあさんがいないなら、きっとくるだろう。

 

でも、お母様は「空にしなさい」とおっしゃった。

今こそ、すべてを捨てて、空になる時だ。

 

どんなことがあっても、お母様が正しい。

私は、そのみ言に従わなければならない。