apapaの日記

apapa奮闘記

正月で嫌なこと

28日から1/5までの9連休が始まって、一番うんざりしていること。

夫の介護も忙しいので、家事も適当である。

一番うんざりしていることは、やっぱり同居の舅である。

 

いちいち気になる。

洗面所で痰を吐く音。

べらべらしゃべってる内容。

屁理屈で自己正当化すること。

食べ物に文句を言うこと。

そして何にでも醤油をかけること。

何かやっていると思ったら、やってほしくないことをやって悦に入っていること。

 

一番いやなのは、テレビをじっと身を乗り出して見ているくせに、その内容を全く理解できず、自分なりの意見を言っているが、まるで見当違いなことである。

自分勝手な解釈が多く、全くもって同意できない。

 

私のじいさん嫌いは、昔私の信仰を手厳しくいやらしい方法で反対したことにも起因する。

その前から嫌いではあった。

食べ物の好みも、まったくの真逆である。

 

息子がじいさんを嫌うのは、わたしのこの嫌悪感を子供なりに感じて育ってきているせいもあるかもしれない。

さいころから嫌いだった、と息子は言う。

 

じいさんの生い立ちに問題があることはわかる。

たくさんの兄弟の中で、貧しかったし、母親が病気がちで小さいころ死んでしまった。

さいころから手伝いばかりさせられた。

親の愛をあまり受けていないのだ。

 

ああ、やだ。

私は、恩讐を愛せません、お父様。

 

愛したくないんです。

 

私は、爺さんの妻でなくてよかった、と心から思っている。

 

 

心の声

自己牧会プログラムの動画が毎日配信されていて、毎日時間がないので早回しで見ている。

自分の中の良心に神様がいるというのである。

その声を聴くために。

 

以前は、何度か祈っていても、答えがすぐに返ってこなかった。

でも、時々、雷がとどろくように与えられるものがあり、そんなときは滝のような涙があふれることもある。

 

でも、最近は、祈るとすぐに答えが返ってくる。

あまりに早いので、びっくりするほどだ。

 

今日は、どうやったら私は人に神様を伝えたいと思えるのか、尋ねてみた。

すぐに返ってきた。

自分が愛されていることを、心から実感することだと。

 

愛されていることが実感できれば、自然と幸せになる。

その姿を見せていると、人が聞いてくるというのだ。

どうしてそんなに幸せそうなのかと。

 

その時、伝えればいい。

神様に愛されてることがわかったから、と。

 

神様がおられることを知った時、世界が美しく見えたことを思い出した。

そして、常に胸が温かかったことを思い出した。

いつしか、その感覚は忘れてしまった。

でも、あれがその実感だったのだと思う。

 

今でも、神様は私を守っておられることはわかっていて、疑いはない。

でも、喜びは麻痺してしまった。

不安はないが、喜びが麻痺している。

 

これから祈って行こう。

私に、愛されていることを実感させてくださいと。

 

神様、感謝します。

愛してます。

お母様の大勝利

最近の連日のお母様の大勝利のニュースを見ていて、戸惑いを隠せない。

こんなに喜ばしい、輝かしい実績は、どうやって作られたのだろうか?

まったく目に見えなかったのに、突然、アフリカは変わってしまった。

いったい、どうなってるのか?

 

これは、一朝一夕に作られたものではない。

お父様のビジョンがどれだけ素晴らしいものであったかを、証明するものだ。

さらに、お母様の神々しい姿は、お母様も果てしないご苦労の上に作られたものである。

涙まで出る思いをする時がある。

 

神様の一人娘、と宣布されるその言葉は、とらえようによっては傲慢な風に思えるかもしれない。

でも、それを語られるお母様の姿は、あまりにも神々しく、美しく、また愛を感じるのである。

 

お母様!

お父様の横に侍りながら、どれだけ流された涙が多かったことだろう。

お父様は、そんなお母様にすまないと言いながら、すべてを託されて霊界に行かれた。

お父様とともに歩まれ、お父様の意思をつぎ、愛を持って進まれるお母様。

 

ただただ、感謝です。

すべてを許して、愛してくださるお母様!

 

愛してます!

邪魔って

ばあさんは最近露骨にじいさんをうっとおしがっている。

今日もさっさと晩御飯を食べさせて、2階へ行ってもらおうとじいさんをせっついていた。

じいさんはさすがに気が付いてきたらしい。

俺をのけ者にする、と今日は文句を言った。

ばあさんは笑ってごまかしていたが、明らかに邪魔ものにしている。

 

正直、ばあさんを見ていて、そこまでやるかと思うことが多いけど

 

なんでも把握していないと気が済まないばあさんは、じいさんに命令口調になる。

 

なんだか、あの二人を見ていると、あんな夫婦になりたくないと思うのだ。

 

この二人を、どうやって祝福にまで導けと?

 

神様、どうか、教えてください。

私は、この二人を祝福したくありません。

 

 

日曜日

今日は日曜日。

本当なら、礼拝にいくべき日。

でも、私は行けない。

 

12月にクリスマスパーティーを予定していて、動員が望まれている。

でも、土日は行けないのである。

 

今日、祈っていて、お爺さんおばあさんを私は愛せません、どうしたらいいのでしょうか、と聞くと、すぐに答えは返ってきた。

 

親の気持ちになりなさい、と。

 

最近は、どうしてこうも答えが返ってくるのが早いのだろう、と思う。

 

 

午後、雨が止んだので、車いすを借りてきて、夫と散歩に出た。

その時、夫は言っていた。

よく、じいさんが先天性の不自由が後天性の不自由よりもつらいようなことを言うが、いつもそれに腹が立つと。

もともと見えていた目が見えなくなったほうが、最初から見えないよりもつらい思いをするんだ、と。

 

じいさんは体が悪い人の気持ちがわからないのだ。

だから、私はいつもじいさんがしゃべっていることに、その通りだと思うことは一つもない、と夫に言ってやった。

でも、親が小さいころ亡くなったじいさんには、わからないことが多いのだ、と。

 

親がいなかった子は、やはり不幸だ。

愛し方を学べないから。

どこも悪くなくて長生きをするのは必ずしもいいことでもない。

病人の気持ちは同じ病気をした人にしかわからない。

わからないということは、不幸なことだ。

知らず知らずのうちに人を傷つけ、そのことに気づけないと、孤独になる。

人生が終わる時、それがわかる。

 

車いすを返しに行ったとき、住区センターの人が、車いすのことを聞いてきた。

その人も、お父さんが介護状態になって、施設にいるが、つらそうなので在宅介護を考えてるとのこと。

 

世の中には今、こんな状態に陥ってる人が多いようだ。

 

お母様のみ言のように、昨日より今日感謝できる毎日を過ごしていかねばと思う。

今日という1日

今日は朝から1日雨だった。

だから、一歩も外へ出なかった。

 

午前中、夫はずっと寝ていた。

私は寒かったので、台所にいたが、じいさんもばあさんもそこにいる。

テレビも見ていろいろしゃべるので、それがうざったくて、2階に逃げた。

 

じいさんの能書きを聞くのも嫌だし、早く2階に行ってくれないかなあ、と願う自分がいた。

 

知人の出産祝いに子供服を1着送ってあげたら、そのお礼に5つ入ったバームクーヘンが届いた。

 

5つしか入ってないので、一人1個ずつだ。

まず、夫におやつとして1個あげた。

 

あと、4つだ。

1つずつ食べて1個余るので、夫のおやつにまたあげようと思っていた。

 

そしたら、じいさんが箱を見つけて、これはなんだ?と開けて、友達の出産祝いのお返しだよ、というと、1個ごちそうになろうかね、と言って食べてしまった。

 

あと3個。

わたしとばあさんと、夫にと思っていると、夜、もう一個食べようかなというじいさんの声が聞こえて、夫のところにいた私は台所に戻り、「5個しかないんだから1個ずつだよ!」と叫んでしまった。

 

ずっとじいさんが食べるんじゃないかと思って、気にかかっていた。

食べさせたくないので、私は夜自分の1個を食べてしまった。

明日になって、忘れてまた食べようとしたら、私の分がなくならないとも限らない。

 

なんだか、小さいことだが、昔から食い物の恨みは強いという。

じいさんは、私がもらったのなら、私の前に食べてはいけない。

いつも、そんな小さな順番があることをわからない人なので、腹が立つのだ。

 

ああ、今日もじいさんを許せなかった。

私は、このじいさんを祝福なんてできやしない。

 

神様、どうしたらいいでしょうか?

うちのじいさん

うちのじいさん、というのは夫の父親のことである。

同居している。

今は隠居生活で、少し認知症が入っている。

しかし、気概はあり、元気である。

 

元気なのには、原因がある。

医者に行きたがらないが、メンタルクリニック認知症の薬をもらっているほかに、不安症の薬ももらっている。

それを、この前3倍に増やしてもらったら、元気になったのである。

 

しかし、元気になったらなったで、減らず口は聞くし、やってもらいたくないことに手を出して、能力がついて行かないので逆に面倒をかける。

今日も、洗面所につまようじを落としたとか言って、洗面台の下のパイプを取り外し、そこになにかまた落っことしたと言って大騒ぎになった。

水が流れなくなったら、大ごとである。

 

結局、試しに流してみたら、落っことしたものが流れて行ったので、事なきを得たが

 

本当に、面倒ばかりかけるのだ。

 

正直、私はこのじいさんがやることなすこと、すべてが嫌いである。

全部、理にかなっていれば納得もするが、自分なりに理由をつけていることがまったく納得がいかない。

 

息子は、このじいさんが大嫌いだった。

私も、嫌いである。

 

しかし、このじいさんばあさんをまず祝福してあげるのが私の課題なのだ。

絶対無理。

 

心情的に。

 

まず、やりたいと思うことが始まりである。

でも、やりたくないのだ。

できれば、祝福なんてしてあげたくない。

 

この気持ちをどう転換するか。

私の一番の課題。

 

この前、少しだけ祈った。

そしたら、「愛してあげることだよ」と良心の声。

 

ああ、無理。

 

誰か、この心情をわかって。