apapaの日記

apapa奮闘記

韓国という国

日本では、韓国という国に対しての蔑視が強い。

また、韓国も一部の人たちの日本に対しての敵意が強い。

ここには、まったくもって目に見えない力が働いているように思う。

 

韓国の文化に触れてみると、日本人には不思議なほど馬鹿丁寧だと思うことがある。

それは、目上の人には徹底的に侍るという態度である。

 

私は昔、保険の仕事を仕方なくやったことがあった。

その時に訪問した時のある会社の社長さんが言った。

 

仕事で接触した韓国の若者が、とてもひどく激高して帰ったことがあった。

しかし、その若者は後日、その社長さんを訪れて言った。

どんなに腹が立っても、年上の方にあのような失礼なことを言って、申し訳なかったと、頭を下げに来たという。

その時の彼の態度に、その方は感心したという。

 

今思えば、私はあの社長さんとの貴重な出会いを、自分の意味のない憶する心で、大切にすることができなかった。

こんな一瞬一瞬の私の幼さが、今までまっすぐ歩んでこれなかった原因だと思うが

 

韓国人は、確かに激高しやすい。

しかし、なんとも言えない、心の根底に、愛情深さを持つ民族である。

日本人は絶対に言わない言葉を使ったり、とんでもない怒り方もするが、その場その場で、仲直りも割とあっさりしたりする。

日本人には理解できない変わり身の早さ。

 

しかし、それは、基本的に人間を愛しているからである。

許せるのである。

 

もっと理解できたらいいのにな。お互いの心根を。

そう思うが、お互いを知らなすぎるのだ。

 

 

 

 

 

 

私の人生は?

私の人生は、誰のものか?

私のものかとずっと思っていたけど、実は違うのだということに気が付いた。

 

今回、先祖祝福を代理で頼んだのに、夫の分だけが受付されて、私のほうは受付されなかった。

未納金の確認ができないというのだ。

確かに、調べてもらって、それをおさめたのに、そうなってしまった。

 

これは、霊界だということしか、誰にも分らない。

でも。

霊界はわかっている。

納得していない。

お金をおさめたからと言ってたやすくできることではないのだ。

 

こんなことが私にはたくさんあった。

その時、いつもそうだったなと思うことは、成し遂げるまですでに待つばかりとなった時に、甘えが出て、やってはならない基本的なことを、やってしまうことである。

世間の人は普通にやっていることではないかとどこかで思ってしまう。

 

それは、なぜか?

自分の人生は自分のものだと思っていて、そこから離れないことだからだ。

私は、どこまでも謙虚にならなければならない。

 

最初から間違えている。

自分の人生は、すでに自分のものではなかった。

自分の人生は、神様のものである。

なぜ、そのことに気づかなかったのだろう?

 

神様を知った時点でそこは変わっていた。

私は、私や夫のために学んだが、そうではなかった。

私が学んだのは、神様が召命したからなのだ。

 

どんなに取るに足りない人生のように思えても、神様は私を呼ばれた。

生きている神様が、一方的に私を呼ばれた。

そのことを、忘れてはならない。

 

どんなことでも、自分を離れることができなかった。

だから、歩むのが苦しかった。

嫌だった。

 

神様を知った以上、もう知らないとは言えない。

むしろ、知っているからこそ、やってはならないことが多くあることを気づかなければならなかった。

 

私は、今回先祖祝福という、ほかの人たちが苦労したうえで難なく超えていることを、超えられなかった。

それは、そこを間違えているからである。

苦労も足りないし、感謝もないし、内的な条件がなさすぎるのだ。

私の先祖は、それを気づかせないと、私のためにならないと考え、むしろ我慢している。

本当に申し訳ない。

 

 

これからすぐに変わることはできないかもしれないが、肝に銘じよう。

私の人生は、私のものではない。

神様が、私を代理に立てて、成し遂げようとされることがある。

召命された時点で、そこに気づくべきだった。

私の人生は、神様のものなのだ。

なにひとつ、自分の思い通りにできることはない。

 

だが、そこをまっすぐ行けば、神様は必ずともにいてくださる。

そして、これ以上ない幸福を味合わせてくれるだろう。

 

いい加減、気づかなければ。

悔い改めるのではなく、考えを変えるのだ。

自分のものは何一つない。

それは、私の人生も、なのだ。

 

忘れないように、書き留めておこうと思った。

 

 

1/11

ようやく部屋の準備もなんとかでき、明日は夫の退院である。

今日、いろいろな人が夫に声をかけに来た。

 

看護婦さんも、理学療法士さんも、ヘルパーさんも、みんな声をかけてくれた。

夫は、この病院で愛されてきたんだなと思った。

夫はずいぶんと我慢してきたと思う。

つらいリハビリも耐えた。

結局、車いすから脱却はできなかったが、

医者にさえも、人に恵まれていると言ってもらえた。

 

今日は最後のおむつ交換、移乗、着替えの練習。

栄養士さんも来てくれた。

 

明日からは、また忙しくなる。

明日は、お世話になったスタッフの皆さんに差し上げるものを買いに行こう。

1/9

昨日は朝から乳がん検診に行き、再発の所見はないとの結果。

午後から、義父母の介護認定だった。

 

また義父が「俺は2階に行って寝る」と言ったので、お父さんはいなきゃだめだよ、お父さんに話しに来るんだから、と言って引き留めた。

 

その後、義母がトイレに入った間に、お皿を洗っていると、なにやら義父がごそごそと動いている。

見れば、ウイスキーを目の前のお茶に注いでいるのを見た。

一口飲むのを見て、仰天し、だめだよ、お酒なんか飲んじゃ、これから人が来るのに、とその手から奪い、冷蔵庫に入れた。

そのうち、義母がトイレから出てきたので、もう見ていたくないと思い、隣の部屋に行った。

そのうち、義母の「何やってるの」という声を聴いて、台所に行くと、冷蔵庫を開けて、先ほどのお茶を二口ほど飲んでいたらしい。

 

思わず、怒った。

義母に黙っていようかと思ったが、黙っていられなかった。

先ほどお酒を入れたことを暴露して、捨てさせ、義母になんでだめだと言ってるのにやるのか、と怒った。

義母は驚いて、また怒った。

 

あんな義父を見ていると、この人は本当に気が小さい人なんだなと思う。

たぶん、介護認定という言葉に緊張したのだ。

あきれ返って言葉が出ない。

 

その後、1時から介護認定の人が来て、いろいろ質問して帰った。

あらかじめ手をまわし、本人の前で認知なんて言わないようにとお願いしておいたので、その後、家の前で2人で話をした。

体的には大丈夫なところが多いので、要支援くらいになるかもしれないが、とにかく認知症が進んでいるのは確実だ。

 

4時ころから病院へ。

インスリンのことが心配で、小路さんに言っておいたので、栄養士さんが来ていた。

そこで、懸念していることを伝えたら、今日、また行ったときに、医師が来て、私の心配を聞き、退院後は血糖値の管理を注意してやらなければということで、食前に打っていたインスリンを、朝食後に打つことにした。

食べた量によって、少し減らす、という対応だ。

何よりも怖いことは、低血糖なのだ。

 

そして、血糖値のデータを取り、在宅診療の医師と相談することになった。

 

12日の退院日には、デイサービスの施設の人は来られないという。

それで、契約は14日ということになった。

 

帰ってきてからすぐに血糖値を測る機械の注文をした。

しかし、肝心の部分は通販できないらしく、調剤薬局で買い求めなければならないようだ。

 

本当に忙しいが、一つ一つクリアしていこう。

 

1/7

今日は仕事はじめ。

まだ夫が帰ってこないうちは9時始まりでも大丈夫だが、9時~5時までの就業時間を9時~4時までに差し当たって時短にしてほしいと言ってあった。

でも、朝のほうが忙しいと思い当たったので、9時半~4時半に変えてくれと申し出た。

 

気になるのが、インスリンのことである。

病院にいる間は、徹底的に管理されていたので、朝昼の食事内容で朝2本のインスリンで調節できていたが、帰ってくると、おそらく夫は朝昼の食事量が減ってしまう。

 

なので、インスリンが効きすぎるのではないかと私は心配になってきた。

 

今日病院へ行ったら、小路さんがいたので、そこを相談してみた。

そしたら、医師に相談してみるという。

夫は家ではかなりきままにするだろうから、私が少し用意していく食事はやはり食べないのではないかと思うのだ。

私は、医師ではないから、血糖値の管理がわからない。

 

それから、着替えがかなり左手を袖に入れるときが難しい。

脱ぐ時も、着る時もである。

 

いろいろと気になることが増えてきた。

どうしたらいいのか、素直に相談していこう。

1/6

今日は2019年初めての礼拝であり、私がいける最後の礼拝だと思って朝から参加した。

お母様ははるかな上の基準を行かれていて、あまりにもかけ離れた自分だなと思ってみ言を聞いていたが、世界でおさめられている驚異的な勝利、実績。

希望だと思った。

 

帰ってきて、ご飯を食べて、しばらく2階にいたが、少し早めに下りてきたのが2時過ぎ。

義母は留守で、義父はなにか忙しそうに片づけていたので、ご飯は?と聞くと、パンでも食べるというので何もしなかった。

これはいつものことである。

出してあげても、ほとんど見ただけでパンを食べるのである。

 

アコーディオンカーテン越しに、義父母の会話が丸聞こえなので聞いていたら、義父に昼ご飯を食べたか聞いている。

食べていないようなので、餅を食べると言っているが、3個と言っているので、時間的に遅いので、2個にしておきなよと言ったが、聞こえていなかったらしい。

3個焼いて食べるという会話が聞こえてきた。

 

この祖父母の会話は、うざいこと極まりない。

うんざりだ。

 

病院へ行くと、リハビリに行くところだった。

リハ室について行き、足の感覚を見るため、床に置いた目盛りの書いた段ボールの上を移動させながら、目盛りの番号を当てるというリハビリ。

左足が自分が思ってるよりも開いている、ということが分かった。

そのあと、かかとに力が入りがちなので、つま先のほうに力を入れて立つようにゴムの器具を使って力を入れる練習。

 

それから台の上に寝て、もみほぐし。

そこから立つ練習。

 

そこでリハはおわり。

独鈷さんだったが、今日は移乗の練習はなし。

 

夫はずっと看護婦に不満をいだいていることを言っていた。

でも、塙さんが来てくれて、明るい声でベッドの上の姿勢をかえたりしてくれて、少し機嫌は良くなった。

 

私は、夫に義父のことをかなり悪く言ってしまった。

そのくらい不満を抱いていた。

 

今日は、礼拝にも行ったのに。

放蕩息子が帰ってきたとき、不満を抱いて父親に抗議した兄に向って父親が言った言葉、

お前はいつも私とともにいて、私のものはすでにお前のものだ。でも、離れていた息子が帰ってきたのだから、喜ばしいのは当たり前だ、と。

私は義父に向かってそんなふうにまだ思えない。

嫌いなのだ。

この人に、祝福なんかあげたくない。

 

ここから悔い改めていかなければならないだろう。

でも、それもしたくない私だ。

 

1/5

今日は朝からテレビの移動のためにアンテナを抜いたので、もう一度見れるように、電気屋さんへ抜いたコードをもって行って、聞いてきた。

 

何とか悪戦苦闘の上、接続はできた。

BSに関してはブルーレイを通してしか見れないが、問題はない。

テストのためにDVDを入れて、見てみたら、そのまま映画を見てしまいそうになったので、そこで中断。

 

昼ご飯を食べて、その後3時から病院へ。

夫は風邪ひきがひどくなったと不機嫌だった。

 

4時におむつ替えの練習の約束だったが、私待ちでかえていなかったので、その場で交換。

やってみたら、できないこともないか。

ただ、中腰になるため、ベルトはしたほうがいいなと思った。

 

その後、小澤さんと渡辺さんの指導で移乗と着替えの練習。

移乗は慣れてきたが、着替えが難しい。

一応、昨日甚平タイプのパジャマを注文したが、退院までに間に合いそうもない。

昔の前あきのパジャマを見つけておいたので、しばらくはそれでやるしかない。

 

渡辺さんに4つもある腰ベルト1つ、小澤さんにはおそらくもう使わないだろうというサポーター(びりびりでかなり古い)をあげた。

あんな仕事をしている人は、常に腰痛におびえているようだ。

なんとかお礼をしたかったので、お古で申し訳ないが、喜んでくれたのでよかった。

 

夫の友人の弟がこの前道でばったり会って、連絡先を入れておくと言ったのにポストに入れてくれないので、チラシ配りの時に私が入れてきた。

そしたら、夕方電話をくれてて、後で電話した。

発達障害だったらしい。

どうも、こちらの話したいことから先走りする感じではあるが、週5日デイサービスに行ってるらしいので、土日なら私がいるけど、来てもいいよと言っておいた。

 

まあ、私がいたほうがいいかもしれない。

少し病気がひどいような気もしたから。

 

明日はたぶん最後の礼拝に行くことになるだろう。

感謝して与えられた環境を超えよう。