apapaの日記

apapa奮闘記

神様お留守

どうも私は神様がお留守になりやすいらしい。

毎日の忙しい生活に流されて、終わってしまうと、1回も神様のことを思わない日がある気がする。

祈りの時間は一番大切だ。

なのに、それも面倒になってしまう。

外的なことばかり考えて、自分が神様の前にどう向き合っているか、神様の目にどう映っているかのチェックをしないで終わってしまう。

とんでもないことだ。

 

悔い改めて頑張ろう!

 

痛みというもの

体の痛みというものは切ないものだと思う。

痛みがあるだけで、人は明るい気持ちになることができない。

 

夫の体の痛みを見ているのも、切ないものである。

何もしてあげられることがない。

 

おそらく、夫にはなにかそのことを通して払っているものがあるに違いない。

私はそう思う。

できれば、代わってあげたいとも思うが、もし私ならば、耐えられないかもしれない。

 

天は、超えられないものは与えないという。

私には、超える能力がないから、夫が代わって受けているのかもしれない。

 

 

じじばばのこだわり

正直、こだわりというものは、面倒なものだと私はいつも思う。

こだわりというものは、それ以外受けつけない、ということ。

それが、無知からくるものならば、さらに面倒である。

なかったほうがいいものである。

 

同居の義父母は、こだわりの塊である。

いつも、説得する余地すら見せない。

こっちが相手のことを思うが故の提案であることを、まるでわからない。

 

私は、義母のこのこだわりゆえの拒否に、一時は顔も見たくなくなった。

私だけは、あのような年寄りにはなるまいと固く思った。

一番いけないことは、知ろうとしないことである。

 

こだわりなんて、人間の一番無駄なものだと私は思う。

可能性をすべてシャットアウトするものだ。

そのことによって得るものは何一つない。

 

無知からは何も生まれない。

さらに、その無知を自覚せず、知ろうとしないことは、もっと不毛である。

 

夫のおむつ替え

夫が退院して来てから、日中のおむつ替えはヘルパーさんに来てもらうが、家にいる時間は私がやるしかない。

 

夫はもともと排泄が不規則で、決まった時間に出るわけではない。

でも、だいたい私がやる時に、大きいほうをする。

しかも、2、3日に一度なので、大量である。

 

最初はおむつ替えの方法もあまりよくわからず、リハビリ病院で教えてもらったのを思い出しながらやっていたが、手際が悪く、朝の時間のないときに大量の排泄があったりすると、パニックになりそうだった。

 

思わず腹を立てて文句を言いながらやったりすると、当然夫はいい気持ちがするわけではない。

結局、けんか腰の言い合いになって、後悔することもしばしばだった。

 

最近はようやく慣れてはきたが、果たしてこの現状をどう感謝していくか、それが課題だった。

 

でも、この前、ふと思った。

なぜ、神様は私にこんなことをさせるのだろうかと。

 

これは、一番汚いことをきれいにすること。

このことによって、私の心もきれいになって行く。

 

そう考えることにした。

そしたら、落ち着いいてやれるようになり、自分でも工夫できるようになった。

 

すべては、神様が私のために与えた環境である。

これを、感謝して受け止めていくのが信仰である。

 

今はただ、そう思って行くことにした。

人間、ものは考えようである。

いとこの電話

夫のお見舞いのお返しを送ったら、今日いとこから電話が来た。

田舎に両親がもういない私にとっては、まるで実家のような温かみのあるいとこである。

 

正直、小さい頃はこのいとこが怖かった。

はっきりものを言う人だと思っていた。

でも、しっかり父親母親の面倒を見て、私の両親まで、よく面倒を見てくれた。

 

なんとも、今はありがたい存在である。

今は、孫たちのことをよくかわいがり、温かい家庭を築いている。

そこには、私の父親の姉であったおばの影響が強くあると思う。

 

おばは晩年、認知症になったが、かわいくぼけたおばあちゃんだった。

スプーンでいっぱいエプロンにこぼしながら、全部オムライスをおいしそうに完食した姿を見た時は、なんてかわいいぼけ方なんだろうと思った。

いつも、道端のお地蔵さんに手を合わせるようなおばだった。

何一つとってみても、これを作るためにたくさんの人の手がかかっていることを教えてくれた。

 

人は、ぼけてみたら初めてその人の生き方がはっきり出るのかもしれない。

私も、そんな心のきれいな人生を生きたいな。

 

毎日毎日の過ごし方

夫が退院してきてから、全く持って、時間管理が難しい。

今日は福祉用品の担当者が来て、車いすの新しいものを持ってきた。

休みを返上して私の休みの日に合わせてきてくれたので、ありがたい。

今日、持ってきてくれたものは、少し幅広のもので、夫はかなり前のものよりは良くなったと言っていた。

しかし、その人が帰ってから、今度はベッドマットのことを寝心地が悪いと言い出した。

なかなか難しい。

本人はかなり儀式も多いので、いちいち合わせるのが大変で、一人でそれができているころはほっといてよかったが、付き合わされるとなると、かなり時間を取られる。

おまけに、寒いだの暑いだのが感覚異常になっていて、騒ぎ出すので、大変である。

さっきもお風呂を出てきてからおむつ交換に40分かかった。

 

いったい、何をやってるのかわからないうちに時間が過ぎていく。

思わず仏頂面になってしまうことも多い。

すべて超えるためには一瞬一瞬感謝していくべきなのはよくわかっている。

しかし、なかなかできないのである。

 

これは、信仰がいる。

 

私にとって、土日は大変だ。

今日は、お見舞いをくれた人たちへのお返しを買いに行って、午前中つぶれた。

夫は寝ててくれたから助かったが

 

だから、こんだけ一生懸命やってるのに、周りの人への感謝もなしにわがままを言い続けると、腹が立ってくるのである。

仏頂面は、それでも言わずにいるだけありがたく思え、という心の表示である。

 

神様、信仰がいります。

私、感謝すべきで、超えるための近道だということも知っています。

でも、なかなかできません。

 

頑張れ、私。

忘れるな、今までのことを。

超えるために一番近道なのは感謝。

もっと事態を悪くするのは、血気だ。

 

ああ、大変。

韓国という国

日本では、韓国という国に対しての蔑視が強い。

また、韓国も一部の人たちの日本に対しての敵意が強い。

ここには、まったくもって目に見えない力が働いているように思う。

 

韓国の文化に触れてみると、日本人には不思議なほど馬鹿丁寧だと思うことがある。

それは、目上の人には徹底的に侍るという態度である。

 

私は昔、保険の仕事を仕方なくやったことがあった。

その時に訪問した時のある会社の社長さんが言った。

 

仕事で接触した韓国の若者が、とてもひどく激高して帰ったことがあった。

しかし、その若者は後日、その社長さんを訪れて言った。

どんなに腹が立っても、年上の方にあのような失礼なことを言って、申し訳なかったと、頭を下げに来たという。

その時の彼の態度に、その方は感心したという。

 

今思えば、私はあの社長さんとの貴重な出会いを、自分の意味のない憶する心で、大切にすることができなかった。

こんな一瞬一瞬の私の幼さが、今までまっすぐ歩んでこれなかった原因だと思うが

 

韓国人は、確かに激高しやすい。

しかし、なんとも言えない、心の根底に、愛情深さを持つ民族である。

日本人は絶対に言わない言葉を使ったり、とんでもない怒り方もするが、その場その場で、仲直りも割とあっさりしたりする。

日本人には理解できない変わり身の早さ。

 

しかし、それは、基本的に人間を愛しているからである。

許せるのである。

 

もっと理解できたらいいのにな。お互いの心根を。

そう思うが、お互いを知らなすぎるのだ。